思いつきロータリー

何時だったか、クラブでの家庭集会の報告で、「高齢会員はいらない。若い会員を入れなくては。若い会員でなくては駄目だ」と、5分くらいの持ち時間の間に、「若い会員を」というのを5,6回いっていた。私も、その高齢会員なのだが、何故高齢は駄目なのかといいたい。50歳で入会しても、30年たてば80歳になる。何故80では駄目かと、つい聞いていて反発したくなった。そんな年寄りのひがみ根性や、屁理屈をいいたくなるのが、それも高齢のせいじゃあないかといわれそうだが、ロータリーは、最近どうも会員の年齢に拘っているような気がする。

これは、RIが若い会員を集めたがるので、その影響を受けて「若い会員を」「若い会員を」というのであろう。RIは、広くグローバルな奉仕活動を展開したいのだから、活動性に富んだ行動力のある若い会員を求めるし、会員が若ければ、自分の商売にも熱心だろうから、R財団への潤沢な寄付も期待できる。だからといって、クラブの会員までが、若い会員ばかりを求めることもあるまい。

もっとも、RI会長だったレーシーさんも、同じクラブの高齢会員があまり煩くいうので、いちど退会したことがあるそうだから、老人にしごかれるのは我慢ならないものらしい。老人会員が嫌われるのは、ヨーロッパのクラブでもそうらしい。そうなってみると、家庭集会で「若い会員を」と繰り返したことも、分からぬではない。これは、老人会員が反省しなければというか、常づね心得ておかねばならぬことである。

ヘミングウエイに「老人と海」という作品がある。年取った漁師サンチャゴが独り漁に出て、85日目に巨大なカジキ鮪を捕まえる。悪戦苦闘して港に帰るのだが、肝心のカジキは、帰る途中サメに襲われて、獲物は食べられてしまったという物語。サンチャゴは、孤独な漁師。別に人にぐずぐず文句をいう人間ではないが、「老人と海」という題が面白い。「老人と×××」というのを調べてみたら、「老人と宇宙」「老人と人形」など。さてそれでは、「老人とロータリー」というのもあっていいだろうとは思ったけれど、年寄りのことばかり書くと辛気臭くなるから、これはやめにした。しかし、書いている私が年寄りだから、話題は年寄りくさくなるかも知れないが、それはまあ、ホーム・ページの埋草になるのが第一目的だから、ご了承願いたい。

「老人と海」のサンチャゴは、孤独で頑固で、彼に親身になって話しかけてくれるのは立った一人の少年だけ。貴方のクラブの高齢会員はどうですか。サンチャゴのように頑固なのか。そんなことはあるまい。

「老人と海」には、サンチャゴと交流する少年の名前さえ出てこない。ただ独り、小船に乗ってカジキと闘う老人漁師の動きだけ。老人は、時々大声で独言を喋る。疲れて、死んだ女房の夢も見ないのだ。「老人と海」は、ヘミングウエイ晩年の作品だが、彼も老漁師のように、孤独で独りやりきれない気持ちで、この小説を書いたに違いない。(S)

六代将軍徳川家宣の政治顧問だった新井白石に、「折りたく柴の記」という自叙伝がある。B.フランクリンの「フランクリン自伝」にも比すべき世界的名著だといわれている。それほど読みにくい本ではないけれども、桑原武夫の現代語訳が出ていて、これも名訳だから私どもでも簡単に読むことができる。

この自叙伝のなかに白石のお父さんの話が出てくる。白石の父君は八十三歳で亡くなったが、私の解釈ではなかなか面白い人で、年寄りについてこんなことを書いている。「人間の気力は年とともに衰える。老いぼれると、ぼけずにはおられない。老人がぼけてみえるのは、言うべきでないことをいい、控えるべきことをやるからだ」と。なるほど、私もこの頃どうも例会でいらぬことを言い過ぎる。言ったあとで、いらぬことを言わねばよかったと反省する。これこそ若い会員に嫌われる原因だ。高齢会員よ気を付けよと言いたい。

白石の父君はさらに言う。「老人には、古いことを尋ねて有益なこともある。人から問われたら、控えめに答えよ」と。また「世間の新しいこと珍しいことなどは、耳に聞いても、口からは出すべきではない」と。これも私に当てはまる。年取ってくると、つい若い者に負けまいとして、テレビを観たり本を読んだりする。観たり読んだりするのはいいけれども、年寄りが知識をひけらかして、若者に対抗しようとするのはよくない。そうは思うものの、つい議論をしたくなる。要するに白石の父君は、年よりは出しゃばって長談義はせず、人に意見を求められたときは、控えめに答えよというのである。

ロータリーで高齢会員が嫌われるのも、このことだろう。私が自分で、高齢会員の話を聞いていても、そのことはよく分かる。高齢会員とは幾つからかといわれても困るけれども、まあ70以上は高齢会員と思えば間違いはない。

何時だったか、第2700地区の行橋みやこロータリー・クラブが、「スーパー・ロータリアンズ・サミット」というのをやったことがある。地区内の70歳以上の会員に集まってもらって、自由に話を聞こうじゃあないかという集まりである。なかなか面白いアイデアで、内容も充実したものだったけれども、二、三回で中断してしまったのは残念だった。

スーパー・ロータリアンズ・サミットに出席して思ったことは、高齢会員の活発な意見は聞かれたものの、高齢会員が会の主催者や会の進行に携わっている若い会員に対して、ねぎらいや感謝の気持ちを表しようが、足りなかったのではないかということである。ねぎらいや感謝の気持ちが足りなかったのではなくて、その気持ちの表し方が十分でなかったのである。高齢会員が感謝の気持ちを表す、その表し方が下手なのだ。サミットに出席した高齢会員は、それがいい集まりだと思ったなら、感謝してニコ・ボックスは普段の二倍くらいしたっていいじゃあないか。それを受けた若い会員は、感激して来年もサミットをやろうということになりはしないか。ロータリーで高齢会員がなんとなしに敬遠される理由の一つに、大事にされた高齢会員の感謝の気持の表しように問題があるような気がする。

「論語 為政篇」に「色(いろ)難(かた)し」という言葉がある。心の状態を読むこと難しさをいった言葉である。若い会員は高齢会員の心を読んで対応しなければいけないし、高齢会員もその若い会員の心を読み取るように努力しなければならない。「高齢会員を大事にせよ」というのも「相互性」がある。(S)

年寄りが、年寄りのことを書くと長くなる。年寄りのことを二回続けたついでに、もう一回だけお付き合い願いたい。多田重雄は国際的な免疫学者で、プロではないが、能の名手である。殊に鼓を打っては名人の域にあると聞く。自ら新作能も書く。私は能のことは知らないけれども、同氏がお書きになるエッセーには、強く心を引かれる。今回はそのお話。

昔、白河の関の秋の夕暮れ。白河の関は、能因法師の「都をば霞とともに立ちしかど秋風ぞ吹く白河の関」で名高い白河の関である。

秋風が吹く白河の関を越えて、奥州に旅する遊行上人の前に、一人の老人が現われて昔話をする。謡曲「遊行柳」である。老人は実は柳の精。能では、独特の皺のある老人の面「皺尉」や、苦みばしった厳しい表情の「石王尉」など、老人の面をつけて舞う。多田重雄は、名人の舞う老人の姿を見て、きりっと背筋を伸ばした、その如何にも人生を生きぬいた、威厳に満ちた老人の姿に驚いた。それを多田は、「何という秀麗な老人の姿であろうか」と書いている。観客席には多田と同じく高齢者が多かった。多田は、舞台の翁と観客席の老人たちとを見比べながら、その違いに心を打たれた。あの舞台で舞っている老人にそなわった「秀麗さ」が、現代の老人には感じられないというのである。勿論多田も、その観客のなかの一人だから、深く内省してのことであろう。

柳の老人が何故「秀麗」に見えたのか。勿論、能の名手が舞ったのだから、舞の上手なことは当然ではあるけれども、「遊行柳」の原作者である観世信光が、この作品を通じて老人の究極の姿を描いた作品そのものの見事さにあることに間違いはない。「西行桜」に出てくる桜の老木の精もそうだが、都大路の華やかさの中に、若き時代を煌びやかに過して、やがて老い衰えてからは、独り昂然と生きて古木の精となる。さらに時を経て、遊行聖の念仏によって、非情の草木まで成仏できたことに満足して、自らも消えていくという、人間の一生のあり方を説いた作者の心に、私は打たれるのである。

この老人に見られる「秀麗さ」は、昔老人が経験した華やかな数々の思い出に由来していると、私は思った。過去の華やかな記憶が、いま老い衰えた人をして、昂然と歩かせているのである。しかしながら多田はいう。老人の肉体は衰え、足元は風に漂う葦のように危うい。気力も萎えて、歩く姿も弱よわしい。老人は、昂然とした心を持ちながらも、肉体の衰えとともに、たどたどしくしか歩けぬ己の一歩を恥じる。昂然とした心と、その恥じらいとの二つのものが一体となって、彼をして「秀麗」ならしめているのだと。「秀麗さ」を作り出しているのは、老人の「誇り」と「恥じらい」なのだというのである。

私は、例会場へ通じる階段を上りながらよろめいて、M会員に支えてもらったとき、高齢会員の持つべき心構えのようなことについて、ふと多田のこの言葉を思い出したのである。( S )

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